“無”になる体験って大事

昨日は、ドローイングと即興コラージュの
ワークショップへ行ってきました。

技術的に優れた「絵画」よりもまず、
描いて楽しく気持ちいい「快画」を描きましょう
という教室で

6人の参加者は、皆
明らかに10代、20代。
堂々の最年長参加でした。

しかも、ワークショップの後は
浴衣でカープ観戦の会に行くことになっていたので、
浴衣に下駄ばきといういでたちで参加しており、
“変なおばさん”感が横溢。

場違い感満載でしたが、
浴衣にたすき掛けで
めげずに描いてきました。

今まで絵を描いたことがない人でも
「3時間後には描けるようになっている」という
ワークショップだったのですが

つくづく感じたのが
中学、高校と美術部で、まがりなりにも5年
描き続けた経験が邪魔をしている、ということ。

毎月、通っているクロッキー教室でも
感じていることなのですが
1本の線で形が捉えられないんです。

幾つか線を引いて、現物に近づけるという
腰の引けたやり方が身に付いていて、
形をそのまま捉えて素直に描くことができない。

でも、それって
過去に描いてきた経験、つまり「絵心」が
邪魔していたんですね。

「上手い絵」の基準が自分の中にあり、
「上手く描く」ことを目指しているから、
結果的に、小手先でごまかしたような
姑息な線になる。

わたしが求めているのは
「生きた線」
で描くことなんですが

それができないな~というのが
ここ最近の小さな個人的な悩みでした。

でも、昨日のワークショップで、
ヒントが見つかりました。

描く前に考えてるんだよな~。

ワークショップの後半は
コラージュを自分で作ったのですが、
でき栄えは別として、

切ったり貼ったりを無心で作業し終えた後の
爽快感がなんともいえませんでした。

絵を描いたり、コラージュ作ったりする以外でも
何かを無心に、夢中になってすることって
大事な気がします。

経験が実は重い荷物になっていることがあり、
そこから自分を解放する瞬間って
あった方がいいと思うからです。

ちょっとまた
描く意欲がわいてきました。