
今日は、読者のかたからの質問にお答えします。
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読 者 か ら の 質 問 「木を見て森を見る」?
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<読者からの質問>—————————————-
このたび、知人からいただいた文章で
どうもよくわからない表現に出合いました。
「木を見て森を見る、ではなく、森を見て木を見る
最近、そんな意識変化の方も増えてきているように思います」
わたしは
「木を見て森を見ず」では?と思いましたが
そうなると意味が変わってきますし
そこから考えれば
言いたいことはなんとなく理解できます。
また、同じような使い方をされている方もいらっしゃる
ようですので、両方ありと認識しておけばよいのか?
よろしければ、ご意見お聞かせいただけましたら
ありがたく、お願い申し上げます。
(読者 M さん)
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慣用句として正しいのは「木を見て森を見ず」です。
これは、
英語のことわざ「You cannot see the wood for the trees.」
によるもので、
小さいこと(=木)に心を奪われて、
全体(=森)を見通さないことのたとえ。
細かい点に注意し過ぎて大きく全体をつかまないことを
意味します。
Mさんのお知り合いが
本来の「木を見て森を見ず」の意味を踏まえたうえで、
「木を見て森を見る」=細部を見てから、全体を見通す
「森を見て木を見る」=全体を見通してから、細部を見る
として使っているのであれば、
従来のたとえに基づく新たなたとえとして
受け止めることはできます。
しかし、本来の慣用句「木を見て森を見ず」を
「木を見て森を見る」と勘違いしたまま使っているのだとしたら
少々残念なことではあります。
私的なメールのやりとりでは、
もし、相手や自分が慣用句を勘違いしたまま使っていれば
指摘することもできますが、
仕事のメールや企画書、プレゼン資料などで
勘違いした慣用句を(堂々と)使っている場合は
その人の印象や評価に影響します(周囲もフォローしづらいです)。
したがって、慣用句を文章に使う場合は
その都度、辞書にあたり、本来の意味を確認することが重要です。
ネットで検索すると、誤用のまま文例として使われているケースも
多くあるので、まずは辞書にあたります。
先日、私自身も
「がぜん」を本来の意味である「急に、突然」ではなく、
「とても、断然」と勘違いして使っていたことを
当メールマガジンでも取り上げました。
このように言葉に対する長年の思い込みは、誰しもありうること。
だからこそ、辞書で確認し、
自分の記憶の誤りを更新することが必要、と感じています。
※参考
令和2年度「国語に関する世論調査」の結果について