「こんなん描けてしまいました!」という発見

3度目の参加になる
「快画塾」広島クラスで
絵を描いてきました。

「快画塾」の特長は、
“誰でも、3時間で、自動的に絵が描けるようになる”こと。

「絵を描くのは苦手」とか、
「今まで絵を描いたことがない」
という人ほど、

「ウソ~っ!」
と本人や他の参加者が思うほど
3時間で本当に描けるようになります。

「快画塾」では、
いわゆる、写真のように上手く絵を描くことに
重きを置いていません。

モデルをしっかりと見て、
紙にそのまま描く……
それだけですが

同じモデルでも
描いた絵は全員
違います。

それでよし。

「快画塾」で教わるのは、
写真のように描く技術ではなく
描くための視点。

例えば
人物の目や鼻といったパーツから描いていく場合と
全体の輪郭から描いていく場合を
試してみると

自分がどちらが描きやすいか
というのが分かります。

わたしは全体を捉えて
輪郭を先に描いて
細部を描いていく方が得意と思っていたのですが、

パーツから攻めていく描き方も
案外できるのだな、と分かり
自分でもびっくりしました
(性格が雑だから、丁寧な作業はできないと思っていたので)。

そして、細部を丁寧に描くワークの後
10分でモデルを描くワークをすると
ババッと思いきって描けて
気分爽快。

「描く」といっても
色々な手法があり、
それを体験しながら、
「こんなん描けてしまいました!」
という発見が「快画塾」にはあります。

人の絵を見て
自分もあんな風に描きたい!
と刺激を受けるのも
楽しい。

絵を描いたことない、という人も
以前描いていた、という人も
脳に風穴をあけに
ぜひ、参加してみるとよいと思います。

広島以外に
東京、大阪でも開催していますよ。

▼快画塾

講師の木村タカヒロさんのブログはこちら

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同じ「かく」でも、こんなに違う

先週土曜日は「快画塾」という
「誰でも3時間で自動的に絵が描けるようになる」ワークショップへ
行っていました。

このワークショップへの参加は
今回が2度目。

前回はドローイングとコラージュの2本立てだったのですが
今回はドローイングのみ。

参加者の中には、仕事や趣味で絵を描きなれた人もいれば
わたしのように以前、描いたことがある人、
そして、描いたことがないから描けるようになりたくて参加した
という人と、いろいろいます。

最初は10分程度で先生の顔を描きます。

その後、一人ずつの絵を先生が皆に見せるのですが
このとき、現役で描いている人と今回初めてという人とは
明らかに描いた絵に差があり
初めての人は10分で描ききれないことも。

2回目からは条件を変えて
また先生の顔を描いていくのですが
パチッとスイッチが入る瞬間があって

最初ほとんど描けなかった人が
最後には「え!? これ同じ人が描いた絵?」
と思うくらい大胆に描けるようになっています。

他人事ながら、
こうしたBefo・Afterの変貌ぶりを目の当たりにするのが
うらやましくもあり、楽しくもあるのが
「快画塾」の面白さです。

元・美術部員のわたしは
最初の絵が少女マンガのようなタッチになります。

50歳にもなって、未だ
自分の中に乙女チックな部分が残っているのかと思うと
こっ恥ずかしい限りなのですが

今回はわたしにもスイッチが入り、後半から
「あ~、こういうものの捉え方が得意なんだ!」
というのが自分で分かりました。

文章を「書く」ときに使う脳と
絵を「描く」ときに使う脳って違うんです。
だから、描くってものすごく脳のストレッチになる!
と改めて気づきました

「自分探し」という言葉がわたしは大っ嫌いですが
実は、絵を描きながら自分を探しているのかもしれません。

でも、描くことにだんだん没頭していくのって
すごく楽しい!

そんなわけで来月も参加しようと思います。
木村タカヒロの快画塾 広島クラス。

絵の描き方というより、ものの見方、捉え方を
教えてもらえますよ。

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 “無”になる体験って大事

昨日は、ドローイングと即興コラージュの
ワークショップへ行ってきました。

技術的に優れた「絵画」よりもまず、
描いて楽しく気持ちいい「快画」を描きましょう
という教室で

6人の参加者は、皆
明らかに10代、20代。
堂々の最年長参加でした。

しかも、ワークショップの後は
浴衣でカープ観戦の会に行くことになっていたので、
浴衣に下駄ばきといういでたちで参加しており、
“変なおばさん”感が横溢。

場違い感満載でしたが、
浴衣にたすき掛けで
めげずに描いてきました。

今まで絵を描いたことがない人でも
「3時間後には描けるようになっている」という
ワークショップだったのですが

つくづく感じたのが
中学、高校と美術部で、まがりなりにも5年
描き続けた経験が邪魔をしている、ということ。

毎月、通っているクロッキー教室でも
感じていることなのですが
1本の線で形が捉えられないんです。

幾つか線を引いて、現物に近づけるという
腰の引けたやり方が身に付いていて、
形をそのまま捉えて素直に描くことができない。

でも、それって
過去に描いてきた経験、つまり「絵心」が
邪魔していたんですね。

「上手い絵」の基準が自分の中にあり、
「上手く描く」ことを目指しているから、
結果的に、小手先でごまかしたような
姑息な線になる。

わたしが求めているのは
「生きた線」
で描くことなんですが

それができないな~というのが
ここ最近の小さな個人的な悩みでした。

でも、昨日のワークショップで、
ヒントが見つかりました。

描く前に考えてるんだよな~。

ワークショップの後半は
コラージュを自分で作ったのですが、
でき栄えは別として、

切ったり貼ったりを無心で作業し終えた後の
爽快感がなんともいえませんでした。

絵を描いたり、コラージュ作ったりする以外でも
何かを無心に、夢中になってすることって
大事な気がします。

経験が実は重い荷物になっていることがあり、
そこから自分を解放する瞬間って
あった方がいいと思うからです。

ちょっとまた
描く意欲がわいてきました。

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