今週は、昨今のメールを取り巻く環境の変化について語ります。
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仕 事 美 人 の メ ー ル 作 法 < メールがなくなる日(4)>
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ツールとしての使い分け感
通常のメールもフェイスブック「メッセージ」も、
相手にダイレクトに届くという点では同じですが、
オフィシャルな場面でも使われることの多い通常のメールに対して、
雑談感覚でやりとりができ、より“人に近い”のが
フェイスブック「メッセージ」や携帯メールではないでしょうか。
昨日、以前セミナーを受講したことのある講師の女性から、
イベントの案内のメッセージがフェイスブックから直接届きました。
相手は年上の私に配慮し、まるで手紙をしたためるような
丁寧な言葉遣いのメッセージを送ってくれているのですが、
気軽なやりとり用のツールだと思っているフェイスブックから、
そのようなかしこまったメッセージを受け取ると、
どう返していいものかと戸惑ってしまいました。
フェイスブックには、その時々に思ったこと、感じたことを書き込める
「ウォール」という機能があります。
「ウォール」には“誰かに読んでもらう”ことを前提に
好きなことを自由に書き、
それを読んだ人が「いいね」ボタンを押して共感や同意の意志を伝えます。
彼女のウォールを日ごろから目にし、素のままのカジュアルな書き込みを
読み慣れていると、
同じ彼女から、直接送られてきた、かしこまった「メッセージ」の文面に
余計にギャップを感じ、「そんなに気を使わなくてもいいのに…」と
恐縮する気持ちが強かったです。
▼ 使い分ける感覚すら消えつつある!?
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彼女のセミナーでは
「ツイッターはコンパ、フェイスブックはお見合い」感覚で使うツールと
例えられていて、なるほどなと思いました。
素性を明らかにしてからやりとりが「始まるフェイスブックは、
まさに「お見合い」のような過程を経て始まるツール。
ですが、パーソナルなやりとり向けのツールであることに変わりなく、
ましてやお互い一度、面識があるのだから、
もっと気楽にコンタクト取ってくれればいいのに、
と思ってしまった一件でした。
目上の相手にフェイスブック「メッセ―ジ」を送ることに
未だに抵抗感のある私に対し、
10歳以上若い彼女からしてみれば、
通常のメールであろうとフェイスブックやツイッターであろうと、
思いを伝えるツールとしては同じ。
言葉を使い分けることはあっても
それを運ぶツールをTPOに応じて使い分ける感覚は
若い世代ほど、なくなってきているのかもしれません。